「不満を感じたら…」アマテラス様の見方。
「不満を感じたら…」アマテラス様の見方。
「会社に対しての不満が。」
「まったくうちの旦那は!!」
「子供が全然言うこと聞かない!」
と言う不満。
出てしまうこと、
感じてしまうこと、
ありますよね。
それがずっと続いて、
縁を切って
離れ離れになってしまったり、
人間関係が理由で退職したり…。
でも
「すべてに【愛・感謝】が
たたみ込まれていること」
これを『開華』で伝えています。
「そんなこと言ったって
この感情どうすればいいのよ!」
ありますよね・・・。
「出来事は全て
素粒子でできていて、
素粒子の元はゼロポイントフィールド。」
ゼロポイントフィールドは
いつもお伝えしている通り、
【愛・感謝】です。
つまり。全てには【愛・感謝】が
たたみ込まれている。
って、お勉強みたいに言われても
感謝があまり湧きませんよね。
会社の存在。
家族の存在。
日常の自分の体が
存在すること。
車が動くこと。
飲みたい時に水が飲めること。
そこの感謝があるのに、
忘れてしまい、
不満ばかり出てしまう。
私たちはそう感じてしまいがちです。
脊椎カリエスや結核、
帯状疱疹、心臓発作、
直腸癌、パーキンソン病など
数々の病気で
大変な思いをしながらも
「氷点」「塩狩峠」などで
感動的な小説をたくさん出された
三浦綾子さん。
その方は、
「10のうち9つ満ち足りていて
1つだけしか
不満がないときでさえ、
人間はまずその不満を
真っ先に口から出し、
文句を言い続ける。
なぜ私たちは不満を後回しにし
感謝すべきことを先に言わないのだろう。」
と伝えています。
そのあとで、さらに
以下のように綴っています。
「神様が何か思し召があって
私を病気にしたんだと
思っています。
特別に目をかけられ、
任務を与えられたんだと。」
こちらも月刊「致知」
に以前掲載されていたものです。
辛い出来事。不満。
それをゼロポイントフィールド側から
見ること。
今、致知出版社の主催で、
今野華都子(かつこ)先生から
「古事記に学ぶ日本のこころ」で、
学ばせてもらっています。
2月5日は「天の岩戸隠し」
そこに、私も日頃『開華』で
伝えさせていただいている
「感謝ポイントを探す」
ということに近い内容が、
なんと古事記の中で
天照大御神様も伝え、
それが古来日本人にはずっと
語り継がれ、
生き方の精神に入っている・・・
ということを聞き
鳥肌ものでした・・・!
よくご存知の、
天照皇大神様が、天の岩屋戸に
籠られたお話です。
全然深い意味は知りませんでしたが、
古事記が伝えたいこと。
本当に感動的でした!
弟の神様であるスサノオノミコトが、
よろしからぬことをして、
姉上である天照大神様が
岩の扉で入り口を塞いで
洞穴にこもってしまう
あのお話です。
その本当の意味。
「弟のスサノオが
よからぬことをしたのは、
全ては【自分発振】。
「みかしこみ」をして、
内観をして、自分自身の
【ゼロポイントフィールド】側
(靈=ひ)を
見つめよう。」
と言うことと同時に
「太陽のエネルギー(ひ)がなくなることで、
いかに自分たちの今までの
通常の日常生活が
ありがたいものをいっぱい受け取っていて、
それがなくなるとどれだけ大変かを
感じ取ってもらうこと。
さらには、自分たちの内側にも
本来の素晴らしい光があることに
気づいてもらおう。」
として、天の岩屋戸に
こもられたそうです。
この「全ては【自分発振】。」
として、また感動的なお話。
明治天皇を殺害しようとした人が
いた、ということを受けて、
明治天皇が詠まれたお唄。
「罪あらば
我を咎めよ(われをとがめよ)
天つ神(あまつかみ)
民は我が身の
うみし子なれば」
自分を殺害しようとした人に対して、
「日本国民は私の結果。
神様、私をとがめてください。」
とおっしゃるのですね・・・
まさに天照様のあり方、ですね・・。
不満でどうしようもなく、
でも失ってみて初めて
今までどれだけありがたかったか、
という体験。
私も痛いものがありました。
大切なものを失ってみて初めて、
「なんて今までがありがたかったんだろう…。」
そうやって気づきを与えること。
病気になること。
健康を失うこと。
大切な方が亡くなること。
当たり前が当たり前でない状態を
味わうこと。
そしてそもそも
私たちの内側に
素晴らしい【ゼロポイントフィールド】の
愛のエネルギーを持ち合わせていること。
この辛い出来事を通して
愛深くなれること。
これが天照大神様の
「神業」
だと言うのですね…。
神様がしてくださっていること。
何かを失ってから
『人生なんて素晴らしかったんだろう…。』
と気づくのではなく、
ただ今あることのありがたさを
探し出していきましょうね。
すべてには感謝がたたみ込まれています。