Vol.2 ミッションに気づく
「量子力学的仕事術」
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人生大飛躍の
実例集
Vol.2 ミッションに気づく
Story 04
自己愛の拡大によるミッションとの出会い
Story 05
障害のある子どもを育てるお母さんの力に
Story 06
絶対的な自己信頼とミッションの軸
Story 04
自己愛の拡大による
ミッションとの出会い
川岸美佐子さん / 50代女性・一般社団法人代表
| 「負けちゃいけない」「挫けちゃいけない」の幼少期
私は、幼少期に両親が離婚して祖母に預けられた後、父子家庭で育ちました。そのため、「自分自身で道を切り開いていくしかない」とハングリー精神を持ち育ってきました。頼る人がいないため、「負けちゃいけない」「少々のことで挫けちゃいけない」と、自分を奮い立たせるようにして生きてきました。
普通の生活を送るためには、自分で頑張らなければならないという強い意識があり、社会的に評価されることや認められることが自分の存在価値だと感じていたんですね。
結婚して子供も生まれましたが、その後も変わらずに家庭よりも仕事中心の生活を送っていました。自分に厳しくするという姿勢が変わることはなく、自分と同じように周囲にも厳しく接していました。息子に対しても、「頑張ることが当たり前」という子育てをしていました。
しかし、当時17歳だった息子が、私の厳しさが原因で、精神的に追い詰められて心が荒れた状態になってしまいました。息子はスポーツ少年でもあったため、チームの監督から「親の言うことをよく聞いて逆らわないように」と言われている中で、私は息子の人格を否定するようなことを言っていました。当時は息子のことを思ってのことだったのですが、息子は多くのことを抱え込み、ついに高校3年生の時に限界を迎えたようでした。
私も、息子の異変にはなんとなく気づいてはいましたが、仕事が忙しかったこともあり、当時の息子の気持ちに寄り添ってあげられなかったことに対して、申し訳ないという思いが強く残りました。
| 自己愛の拡大
数年間、自分の子育てについて後悔を感じながら生活していました。そんな中、大ちゃん先生の著書「量子力学的習慣術」を読んだことをきっかけに、開華を知りました。「これだ!」と思い、2daysセミナーに参加することを決めました。
2daysセミナーの中で、「自分のこれまでの人生を変えることができるかもしれない」という希望を感じ、7weeksセミナーにも参加しました。その後、さらに学びを深めたくなりトレーナーコースに進み、自分と向き合う日々が始まりました。
開華で学ぶ中で特に印象に残っているのは、トレーナーさんのマンツーマンのサポートがあったことです。なかなか、ここまで1対1で親身に寄り添ってくれるサポートはないと思います。感謝行を書き、トレーナーさんからいただいたコメントを振り返っては自分を見つめ直すことを繰り返しました。地味な作業のようですが、私にはそこが非常に新鮮でした。
担当トレーナーさんも本当に愛が深く、素晴らしい方に担当していただきました。私が自分の本質を見失っている時でも、そっと寄り添って伴奏してくれる感じがありました。彼女のおかげで、自分を解放し、少しずつ心がほぐれていったと思います。
そうした担当トレーナーさんのサポートもあり、過去の自分を許し、そのままの自分を認め、自分に対する愛が溢れてくるようになりました。周りの人に対する愛ももちろんですが、自分自身にもその愛が向けられるようになってきたんです。
以前は目標を高く持ち、自分に厳しくしていましたが、今では、ありのままでいいんだということを受け入れられるようになりました。大ちゃん先生から「あなたの存在がそもそも素晴らしいんだ」と言われたことが、腹落ちした感じです。学んできたことが、言葉だけでなく本当に腹落ちしたという感じですね。
| 運ばれる様にミッションが形に
そうした学びの中で、私の中に新たな目標が浮かび上がってきました。セミナーで自分の人生を振り返りつつ、「志」や「魂」といったテーマに向き合っていた時に、少しずつ気づきが深まっていったのだと思います。
それまで私は、病院で働いていました。主に高齢者や大人の方々の支援が中心でした。その仕事には非常にやりがいを感じていましたし、充実していましたが、次第に子供たちのためにもっと何かできないかという気持ちが強くなってきました。自分の子供時代を振り返り、「こんな場所があったらいいな」という場所を作りたいという思いが湧いてきたんです。
その頃、今の共同運営者と出会いました。元々知り合いだったのですが、彼も同じような思いを持っていて、私が「こんなことをしたい」と話していたら、彼が「じゃあ一緒にやろう」と言ってくれたんです。
それから、運ばれるように、スムーズにことが動いていきました。申請していた助成金をいただけたり、場所も良いところが見つかったりと、気づけば道が整えられて進んでいき、自然といろんなものが引き寄せられてきたという感じですね。事前にあれこれ周到に計画していたわけではないんですが、周りの状況が自分の意図に合わせてどんどん現実に現れました。これも、よく大ちゃん先生が言うように、「天から使われている」といった感じですね。「この人がちょうどいいからやってもらおう」と思われているんじゃないかなと思います。
今は、一般社団法人として、主に子供の居場所の提供や、子供食堂、さらにフードバンクを手掛けています。子供食堂は「子供キッチン」として、自分で作って食べる体験型の形式を採用しています。また相方の共同運営者の方は、美容室やネイルサロンを同じ敷地内で運営しています。美容室はユニバーサル美容室として、車椅子の方でも利用できるよう配慮されています。
おかげさまで、子供食堂や美容室、ネイルサロンの活動も順調に進んでおり、お客さんも定期的に来てくださるようになり、幅広い年代の方々が利用されています。
また、ボランティアさんたちがとても協力的で、貢献意識の高い人たちが周りにたくさんいてくれるので、本当に助かっています。子供たちにとっても、安心して過ごせる「第2の家」としての居場所が提供できていると思います。ゼロからスタートして、多くの方々の応援や協力のおかげで、今ではゼロポイントフィールドに導かれているように感じますね。
これからは、今の活動を広げて、地域全体に発振していきたいと考えています。いろいろな方にフードバンク、美容室やネイルサロンの活動を利用していただき、今の活動を広げていくことが一つの目標です。また、これを継続させていくために、資金や人員の確保、行政との連携など課題は多いのですが、とても充実しています。
| すべての出来事がミッションにつながる
今までの出来事すべてに意味があり、今までのすべての経験が自分にとって大切なもので、無駄なことは何一つなかったんだと心から思えるようになりました。現在行っている子供食堂やフードバンクといった活動も、私の幼少期からすべてつながっており、この幼少期を経た自分だからこそ、世の中に提供していくことができるのだと思います。
起きている事実は一つで、それをどう捉えるかは自分の意識次第だということがよく分かりました。自分の意識次第で、見える世界や現実は変わる。そういう意識を持てば、人生はいつでもやり直すことができます。
以前は悔し涙しか流したことがなかった私ですが、今では感謝や感動の涙が自然と流れるようになりました。認めてくれる人、寄り添ってくれる人、支えてくれる人がいることで、人は変わることができるのだと思います。
Story 05
障害のある子どもを育てる
お母さんの力に
宇和 結衣子さん(仮名)/ 50代女性・ライター
| 障害を持つ娘の母として
私は、大学を卒業後、事務職に就き結婚。一男一女の母になりましたが、娘は24時間365日医療的ケアが必要な重い障害がありました。娘の小さい頃はずっと私がケアをしていましたが、娘が成長するにつれてヘルパーさんや訪問看護師さん、学校の先生など、多くの方に支えていただけるようになり、私も少しずつ自分の時間が持てるようになりました。
当時はインターネットもない時代なので、在宅介護が必要な子どもに関する情報もありません。重い障害のある子どもの育児に関する情報を集めることに、苦労しました。「だったら私が、医療的ケアが必要な子どもについて情報発信できるライターになる!」と決意し、娘が特別支援学校1年生になった時に、私も夜間のライタースクールやコピーライター養成講座に通い、フリーランスのライターになりました。
ポスターやパンフレット、書籍、雑誌、新聞、WEBなど、さまざまな案件のお仕事を通して、これまで1,500人もの方に取材をさせていただきました。在宅で娘を介護しながら仕事をしていたので、営業活動は全くできなかったのですが、いただいた仕事をわらしべ長者のようにコツコツ続けていたら、気がつけばさまざまなご縁が広がりました。途切れることなく仕事をいただけたことが、とてもありがたかったです。
ただ、当時は自己肯定感が低く「障害のある娘を生んだ私が悪い」という思いがずっと頭の中にあり、なかなか自分自身の価値や実績を認められませんでした。低単価の案件を引き受けることも多く、次第に娘の介護との両立ができず疲弊していきました。
その後、娘が亡くなりました。喪失感から、しばらくの間は仕事がまったくできませんでした。さらに、コロナ禍で収益の見通しが立たなくったこともあり、40代最後の年に転職活動を開始。ある施設の職員として、採用が決まりました。
| 心のバランスを崩す
入社前は、ライターのキャリアを活かしてその施設の仕事ができると思っていましたが、待っていたのは、私が予想していた仕事とは、全く違う現実でした。
コロナ禍で施設の給食を作る調理師が来れない状態が続いていたため、私も厨房職員として給食を作ることが続きました。マニュアル化されていない業務も多く、慣れない作業や聞ける人がいない環境の中で、私は戸惑うばかり。しだいに職場の上司も、そんな私に厳しい言葉で指導する様になりました。ハラスメントのように感じるきつい言葉を毎日浴び、ここでも「私は価値がない人間なんだ」と、仕事が思うようにできない自分を責め続けました。
その後、毎日通勤電車の中でも涙があふれるようになり心のバランスがとれなくなったことから、その施設を退職しました。
| 2度目の転職先
大ちゃん先生の本に出会ったのは、その施設を辞めた頃です。YouTubeを見て、日々の感謝をノートに書き始めたのですが、3日と続かず、モチベーションを保つのが難しいと感じていたので、思い切って2daysセミナーに参加してみようと思いました。
量子力学を学んで人生がどう変わるのかがわからなかったため、参加することに迷いもありましたが、実際に参加してみると、ありがとう瞑想で心の底から感謝の気持ちが湧き上がり「こんな世界があるんだ」と深く感動しました。
いちばんびっくりしたのは、2daysセミナーに参加してから、次の転職先がすぐに決まったことです。セミナーを受講してから数日後に電話がかかってきて、急に面接日時が決まり、そこからトントン拍子で採用が決まったことに驚きました。それまで20社近く不採用が続いていたので、50代で2度も転職できたことは本当にラッキーだったと思います。
新しい職場に慣れるまでは不安なこともありましたが、ちょうどそのタイミングで受講した7weeksセミナーでは、感謝行担当のトレーナーさんが私の気持ちを受け容れ、毎日寄り添ったコメントを返してくれました。それを読んでいくうちに、次第に前職でのハラスメント体験によるトラウマも解消され、徐々に自己肯定感も高まっていきました。
さらに学びを深めたいと進んだトレーナーコースでも、一緒に学ぶ本当に素晴らしい仲間に恵まれました。学校の教職員、会社の経営者、医師、看護師、主婦など、同期にはさまざまな経歴の人たちがいました。セミナーのたびにそれぞれの人生体験や学びをシェアしあったおかげで、私一人ではないことに気づきました。同期の仲間や開華トレーナーの皆さんとの出会いは、私にとって最高の宝物です。
| 開華サンタプロジェクトを実施
そして、トレーナーコースの最後となるエキスパートコースを修了してから2週間ほど経った頃、ふと頭の中に一つのアイデアが閃きました。
「ヘンリーランドワースさんの志や開華の学びを、たくさんの人に広げたい。私が開華セミナーを開催して、その収益金を『ギブ・キッズ・ザ・ワールド』に寄付できないかな? 」
当時のトレーナーコースで使われている教材の中に、フロリダにあるギブ・キッズ・ザ・ワールド・ビレッジという施設と、その施設を作ったヘンリーランドワースさんの話が出てきます。ギブ・キッズ・ザ・ワールド・ビレッジは、難病を患う子どもとその家族を支援する団体です。子どもと家族が最高のクリスマスを過ごせるように(次のクリスマスまで子どもの生命があるか分からないので、毎週クリスマスパーティを実施)、フロリダのテーマパークの料金、宿泊費、現地への交通費等全て無料でプレゼントされます。しかも施設に関わる費用は、すべて世界中の篤志家からの寄付によって運営されている団体です。
「ただ、私一人が開華セミナーを開催しても、寄付できる金額はそれほど多くない。それなら、同じセミナーを開催できるトレーナーの皆さんに声をかけたらどうだろう?」
「開華サンタプロジェクト」と名付けて、たった1人でプロジェクトを始動。おそるおそるトレーナー仲間に声をかけると、同期から先輩まで予想以上に多くのトレーナーが協力してくれる一大プロジェクトに発展しました。参加してくださったすべての皆様には、感謝しかありません。そして忘れてはいけないのが、事務局側としてサポートしてくれたトレーナー仲間の存在です。趣旨に賛同してくださった5名のトレーナーのおかげで、チケット販売までの段取りがたった2週間でできました。まさに「神っているスピード」でどんどんプロジェクトが進んでいきました。
プロジェクトも大成功!なんと1カ月間に、21名の開華トレーナーが64回のチャリティセミナーを行い、のべ247名の受講者が参加。150万円を超えるセミナーの収益金を全額ギブ・キッズ・ザ・ワールド・ビレッジに寄付することができました。感動して心が震えるとは、まさにこのこと。メンバーや参加してくださる皆様の存在がありがたすぎて、私はプロジェクト期間中、夜寝る時は毎日ベッドの中で感動の涙を流していました。
| 「なぜライターに?」原点を思い出す
開華サンタプロジェクトが終了した後、「私は、どうしてライターになりたかったんだろう?」と、書き手の世界に入ったきっかけを考えるようになりました。そして、病気や障害のある人のために、情報発信できる人になりたいと思ったこと。もともと福祉のイメージを変えたいと思って、コピーライターを目指したことを思い出しました。
正社員として、安定して生活ができることや目の前の仕事があることに対しては感謝していましたが、「本当にこの仕事を心からやりたいのか?」と自分に問いかけると、答えは明らかでした。「自分の気持ちに嘘をつくのはやめよう」と心に決め、勤務していた会社に辞表を提出。そしてフリーランスのライターとして、再び新たな道を歩みはじめました。
| この世に生まれてきた意味
私はライターとして情報を伝えたり、人が集まって何かできるような「場を作る」ことが好きです。トレーナーコースでは、この世に生まれてきた意味を考える課題がありますが、その時に私は「つたエール、つなグッド」と色紙に書きました。「つたエール」=伝えることで人々をつなぎ、「つなグッド」=良い循環を生み出す場を作ることが、自分の使命だと感じています。
現在はライターとしての活動のほか、今年から文章の書き方を教えるオンライン講師の仕事も始めました。実はこの文章講座は、私にとって夢を実現するための「はじめの一歩」の講座です。病気や障害のある子どもを育てるお母さんたちの中には、「私には子どもの介護があるから無理」「私は病気や障害のある子どものお母さんだから仕方ない」と夢を諦めてしまう人たちがたくさんいます。
私も娘の介護をしながらライティングのスキルを学び、少しずつキャリアを積み重ねてきたように、病気や障害のある子どもを育てるお母さんたちが、子育てと自分のキャリアを両立できる場所をつくりたい。オンライン講座なら、世界中のお母さんたちとつながることができます。この講座が、在宅で障害のある子どもを育てるお母さんたちの夢を叶えるための場所になるといいなと思っています。
| いつか娘と再会したら
開華の学びを通して変わったことは、場を整える習慣が身についたことです。今も、毎日の祈りや掃除、特に水回りや玄関の掃除を続けています。たとえ1秒でも祈ることを習慣にし、仕事前はパソコンに「いつもありがとう」と言ってから作業するようになりました。
また、人に感謝を伝えることも習慣になりました。夫に「ありがとう」と言うようになったことは大きな変化です。そして娘が生まれてきた意味や、私自身がなぜ生きているのかについても深く考えるようになりました。すべては自分発振、「自分の意識が自分の世界を作る」ことがよく分かります。今もときどき嫌だなと思う出来事が起こりますが、それも何か自分に気づきを与えてくれるものだと捉えられるようになりました。
そして、挑戦している自分を褒める気持ちが出てきたこと。以前は、結果が出ない自分や、お金を稼げない自分をダメだと感じ、それがさらに自分の無価値観につながっていました。でも今は、やっている過程をちゃんと認めて「確実に前に進んでいるんだ」と思えるようになりました。自分を認めることができるようになったのは、大きな進歩です。
「楽しい」という言葉の意味も、以前よりも深くなったように感じます。悲しさや苦しさ、悔しさを含めた楽しさを実感できるようになり、今やっていることを前向きに捉えられるようになったと思います。いつかゼロポイントフィールド側で娘と会ったら「お母さん、よくやったじゃん」と言ってもらえる日が来るといいなと思っています。
Story 06
絶対的な自己信頼とミッションの軸
齋藤美知子さん / 40代女性・片付けコンサルタント
| 片付けを通して輝きを取り戻す
私は「片付けコンサルタント」というお仕事をしていて、お部屋の片付けをして、すっきりしたいという方のサポートをしています。
お客様は、物理的なお部屋の片付けだけではなく、心にブロックがあったり、生きづらさを感じていたりする方も多いです。心の状態はお部屋にも反映されやすいので、お部屋の中の物が増えたり、ごちゃごちゃしたりしてしまうんですね。
始めは「片付いていないお部屋を片付けたい」というところから始まることが多いですが、お片付けを進めていくうちに、心の問題が浮かび上がってくることが多いんです。
ですので、心の面とお片付けの面、両方からアプローチして、お客様が本来の輝きを取り戻せるようなサポートを全国でしています。
| 孤独と不安の日々の中で
おかげさまで、今はとても充実した生活を送らせていただいているのですが、かつてはどんな状況だったかをお伝えさせていただきますね。
私はずっと神奈川から出たことがなかったんです。結婚した後に離婚し、個人事業のお片付けの仕事と、アルバイトを両立させていたんですが、ある時、お片付けの仕事で4年間毎日更新していたブログやSNSを全部消去しなければならない状況になってしまいました。
それをきっかけに、新しい土地で一からスタートしようと決意して、慣れ親しんだ神奈川を離れて、京都に移住しました。京都では、片付けコンサルタントを本業として、それ一本に絞っての生活を開始しました。
ただ、意気込んでスタートしてみたところまではいいものの、新しい土地での生活は孤独と不安に苛まれました。何の準備もなく、貯蓄もないまま、ただ「行くしかない!」って感じで始めたんです。だからといって、すぐに本業が軌道に乗るわけでもなく、どんどん貯金を切り崩していくばかりで…。
知らない土地だし、つても何もない中で、「このままじゃまずい」って段々焦り始めたんですね。でも、焦れば焦るほど上手くいかなくて、自分の気持ちも空回りして「どうしたらいいんだろう?」って感じになっていました。
| 場を整える
そんな時に出会ったのが、大輔先生の「量子力学的習慣術」だったんです。
すごく響いたのが、「場を整えることができる」ということでした。本の中に「お家をパワースポットにすることができる」と書かれていて、それを量子力学的な観点から説明されていたんです。
「住んでる人の想いや意識が場に反映されるから、その場にいる人が感謝で祈りを込めて存在すれば、その場はどんどん祈りの場となりパワースポットになる」。それを読んだ時、私がずっと伝えたかったことを、感覚だけじゃなく言語化して、仕組みとして説明してくれているとすごく感動しました。
私自身も、かつては自分を責めて鬱になり、苦しんでいた時期がありました。でも、片付けをすると心のノイズが減り、心が整うと目の前の場も整うことを実感しました。場が整った時、「ああ、幸せってここにあるんだ」っていう感覚があったんです。その感覚に間違いはないんですが、どう説明したらいいんだろうと、ずっと根拠が欲しいと思っていたんです。私が片付けコンサルタントを通してやろうとしていることは、間違いじゃないんだと思いました。
| ミッションの軸が太くなる
この本をきっかけに、さらに学びを深めたいと開華で学び始めたのですが、始めの頃は貯金を切り崩すような状態なので、正直なところ本当に不安でした。でも、「絶対についていくんだ!」っていう気持ちで、必死に取り組んでいました。
学びが深まるにつれて、自分のエネルギーがどんどん上がっていくのを感じました。親子関係など自分が課題だと思っていたことも少しずつ捉え方が変わってきて、次第に自分も相手も許せるようになっていきました。現実はそんなに変わっていないんですけど、「ああ、何があっても大丈夫なんだ」って思えるようになりました。
起こった変化の中で一番感動的だったのは、自分のミッションが太くなって、一切ぶれなくなったことです。お片付けという自分が選んだ道に確信が持てるようになって、不安や怖さがあっても自分を信じられるようになりました。
また、学ぶ中で、エネルギーが先で現象は後だということもすごく腑に落ちました。なので、この先どうなるか分からないですし、すぐに現実は変わらないけど、私が真心を持って真剣なエネルギーでやっていけば絶対にうまくいくと、根拠のない自信みたいなものがでてきたんですね。
| パラレルシフトの感覚
自分のいるパラレルもシフトした感じがします。以前は、自己否定の塊で、外側に矢印を向けては周りの人を責めて、すごくしんどい世界が続いていたんですけど、それが切り替わりました。
「どうしよう」が口癖だったのが、「どうやったらできるか」とか、「なんとかできる」に変わっていったんです。自己否定する必要はないし、自分自身を信じて量子力学的な生き方をしていけば、大丈夫なんだと思えるようになったんですよね。そうしたら、見える世界がキラキラして見えるようになったんです。
特に印象的だったのは、金色の粒子が細胞から溢れてくる様な感覚を感じた時ですね。かつては真っ黒な私でしたが、自分の中にあるいろんな感情や想いを抱きしめてあげることで変わっていきました。トレーナーコースでの学びが進むほど、だんだんと焦燥感から愛や感謝にパラレルがシフトしていくグラデーションのようなものを感じました。
| 綺麗な世界を諦めない
最後に。大人になるって、綺麗な世界を信じることがダメということなのかなって思うこともあったんです。綺麗事ばかり言っても仕方ないみたいな。でも、諦めずにその気持ちを持ち続けていたら、本当に綺麗な世界があるんだと気づけたんです。ああ、やっぱり信じててよかったんだって。
もし、綺麗な世界を求めたいけど否定されたり、本当はこうありたいと思っているのにうまくいかないと感じている人がいたら、ぜひ開華の学びを活かしてみてほしいです。現実は自分の意識でいくらでも、いつからでも、変えることができるんだよという気持ちです。