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「量子力学的仕事術」読者限定プレゼント

Vol.3 生命からのメッセージ

「量子力学的仕事術」
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人生大飛躍の
実例集

Vol.3 生命からのメッセージ

Story 07
本質の愛に気づく病気からのメッセージ

Story 08
死別の体験を愛の響きに変えて




Story 07
本質の愛に気づく病気からのメッセージ

川上律子さん / 60代女性・心理カウンセラー


| 甘えられない環境で

私は両親ともに教育者という環境に生まれました。また、母が病気だったので、子どものときに抱っこしてもらったことはありませんでした。そして、年子の弟がいるんですが、母の愛情を全て弟に譲っていました。お姉さんなんだから、自分の想いは多少なりとも犠牲にすべきだと思っていましたね。例えば、家族でこたつに入ってる時、弟が母の膝に乗りそうにしていれば、私はそうして欲しいとは絶対言わない、そんな子でした。

幼稚園で遠足に行くと、周りの子は、お母さんと一緒に手をつないで、転んだらお母さんに抱き抱えて起こしてもらっていました。でも、うちの母はそれができないので、私が転んでも「早く起きなさい」っていうだけで。そうすると、私はもう慌てて、急いで泥を払って列に戻りながらメソメソ泣いてたなんていう思い出もあります。

そんな環境だったので、普通小さな子供が持つような「甘えたい」という感情が持てなかったんですね。「甘える」ということ自体を知らないし、そもそも、私の世界には甘えは存在しない感じです。

小学校、中学校ではクラスのまとめ役として、先生と交渉してクラスみんなでレクリエーションをする時間をもらうとか、やっぱりクラスのお姉さんみたいな感じでした。

家の中ではテレビは1日30分、でも日曜日はNHKの大河ドラマはみんなで見てよし、みたいなルールがあって、でも友達は裏番組のバラエティとか見てる訳ですね。でも、私も弟も何も言わず、逆らわなかったです。また、母が筋肉の病気で身体を動かすのも大変そうで、それが母の気に障るのか、家のものを投げたり、叩かれたりというのも普通にありました。でも、私も弟も絶対逃げないんですよ。逃げると母を傷つけると思ってました。今思うとすごく変なんですが、「母の言いなりになることで自分の居場所を確保しよう」って感じでしたね。


| 突然の病気に

その後大学を卒業し、結婚して順風満帆に人生を楽しんでいたのですが、娘が産まれてしばらく経った時、突然、不安恐怖症・パニック障害を発症しました。何にも食べられなくなり、お箸を口に持っていけなくなり…自分でもそんなのおかしいって分かってるんですけど、どうしようもないみたいな感じです。でも、その時はそれを自分にとって「乗り越えなければいけない試練」のように捉えていました。

でも、その年にさらに立て続けにいろんな事が起こりました。同じ時期に母親が大量に薬を飲んで自殺未遂を図りました。これもショックで、自分の中では「まだ試練があるの?!」という感じでしたが、でもやっぱり「これは試練だ。ここで挫けてはいけない」と強く思っていました。

そして、その3カ月後、とうとう私は乳がんを宣告されました。

今にして思えば、私が病気になったのは「逃げなかったから。乗り越えようとしちゃっていたから」だと思います。何と言いますか、社会で良しとされる生き方に拘っていた私に、宇宙の大いなる力が、これでもかこれでもかと本当の自分の姿に気づかせようとしてくれていたんだと思います。

自分が乳がんになってはじめて、自分の生き方を真剣に捉えなおすことになりました。スピリチュアル的な学びに出会い「がんは私の魂が悲しんでいる証拠。がんは本来あるべき姿に戻りなさいというメッセージを伝えるためにやってきた」ということがわかりました。

手術もして病状も安定したように思え、病気自体も全く怖くなくなり、大丈夫だって思えました。心理カウンセラー養成講座で教えていた生徒さんにも「がんなんて全然怖くない」なんて言いまくってましたね。


| 15年後の再発

そして何事もなかったように歳月が過ぎていき、病気のことも忘れていたのですが、15年後に突然乳がんが再発しました。今思えば、自分の中にずっとこの病気が流れていた感じですね。15年前の気づきはまだ中途半端だったのかもしれません。

自分のがんのことは誰にも言えませんでした。家族にすら言えませんでした。根本のところでは、人を信じられなかったんです。

がんが段々大きくなっていっても、その現実を受け容れられずに、自分の中でなかったことにしていました。

「人は私のことはわからない、私も人のことはわからない」という信念のようなものが子供の頃からありましたし、家族に自分のことを伝えること、甘えることを許可できませんでした。

講座や勉強会で「先生」と言われる立場でずっと過ごしてきて、そのポジションを崩さないようにしてきたので、ダメな自分を思い知らされることへの恐れ、決して理解し合えない他者への恐れ、病気への恐れ、生きることへの恐れ…等々、色んな恐れがあるのを、「人のために」と思いながら何かを頑張ることで、逃げていたのかもしれないですね。

受講生さんに対しても、心の奥底で「本当にわかってる?やる気ある?」というような疑いの目で見ていたかもしれません。言葉や態度には出さないようにしてはいましたが、傲慢なところもあったように思います。


| 自分発振の気づき

自分の講座に参加してくれる受講生さんに、開華の学びを伝えたいという思いで、開華セミナーを受講しました。その時、がんの再発から2〜3年経っていて、時々不安に駆られはしましたが、誰に話したこともなく、自分自身にさえも「ない」ことにしていました。

きっかけは、自分の受講生さんのためだったのですが、学んでいるうちに「全ては私の問題だった」と気づいていきました。「私の発振が私の世界を作っている」ということが分かってきたんですね。

長年自分の中にある思いや癖はそう簡単には消えませんでしたが、自分褒めと感謝行のおかげで少しずつ自分を出すことができるようになっていきました。

そして、私にとって大きなきっかけになった出来事があります。トレーナーさんとの感謝行で私が少し愚痴っぽいことを書い時、トレーナーさんに「そういう思いを全部書き出してみたらどう」とアドバイスをいただいたことがありました。そうしたら、自分の中でもすごく抵抗感が出てきて、「どうせ私のことなんか分からないのに!」という思いが強く出てきたんですね。

開華の学びも大好きだし、トレーナーさんもすごく尊敬できる人なのに、何でこんな思いが出てくるんだろう?と自分で振り返ってみました。その時のことを今でもハッキリ憶えているんですが、山梨の方に向かって高速道路を運転していたら富士山が大きく見えたんです。その時に、「そうか!この抵抗感が出てくる現象も、私の発信を気づかせるために起こっているだけなんだ!」とピーンと降りてきたんですね。他でもない私自身がそう決めて、現象を作り出しているんだって。

その時から、そのトレーナーさんのアドバイスが、もうありがたくてありがたくて仕方がなくなりました。一瞬でパタッと価値観がひっくり返った感じです。セミナー中に同期の皆さんと気づきをシェアするときも、本当に皆さんのお話一つ一つがありがたく感じられる様になりました。

その頃から、これまで自分の中で作っていた壁がなくなったというか、人に対する抵抗感や不信感、「誰も私のことは分からない」という自分の中の決め事みたいなものも、なくなっていきました。これも、トレーナーさんとの感謝行の成果かなと思います。

そして、「もっと委ねていいんだ」とか「弱いところを見せてもいいんだ」ということに気づけるようになりました。私は、子供の頃から感受性の強い子だったので、よく「弱い、弱い」って言われていました。だから、「弱い自分を見せてはいけない」という価値観が強くあったのですが、弱い自分も抵抗なく見せられるようになりました。

これまで、上手に自分をコントロールして、外側を取り繕って生きてきたのですが、自分の内側はやっぱり誤魔化せないんですね。パニック障害も、がんも、抑えていた自分の内側を爆発させることで見せてくれた感じです。


| 家族へのカミングアウト

そして、開華で学んで1年くらいした頃、ついに夫に自分の病気のことをきちんと話せるようになりました。夫に弱音を吐けるようになったし、素直に愛情表現ができるようになりました。

うちの家族はずっと仲良しではあったんです。周囲からも「仲の良い夫婦だね」と言われていましたが、今ではそれも表面上の話だったと思います。夫に甘えることはなかったし、娘に対しても同じでした。しかし、自分の病気を通じて家庭の中が大きく変わっていきました。

私の話を聞いた夫もとても心配してくれて、インターネットからあらゆる情報を集めて、「これがいい、あれがいい」と私に勧めてくれました。それが私には結構ストレスだったんですけど、それがきっかけで夫とさらに理解を深められたりとか、夫との関係にも変化が起きました。夫に告白してからちょうど1年半くらい経った頃ですね。驚くほど幸せを感じるようになりました。

家の中はいつも、優しくて穏やかな空間があります。娘は今一人暮らしをしているのですが、たまに会うと「お父さんとお母さんの関係が全然違うね」と言ってくれます。以前から仲良しだったけど、今はまったく違うと感じてくれているようです。

私自身も人前で平気で甘えられるようになり、娘がそれを見て鼻の下を伸ばしてにっこりと嬉しそうにしているのを見て、幸せだなと感じています。このように幸せを感じられる自分がいるなんて、かつての私からは想像できません。以前は常に自分の中の「正しさ」を演じていたのですが、今の私はそれとは違う形で生きられる様になっています。


| 家族にも変化が

私の影響を受けたのか、家族にも変化が出てきました。夫が、参加しているサークルで人間関係がこじれているので、どうにかうまく解決したいと相談してきたことがありました。そこで、私は開華で学んだことを使って「仲が上手くいっていない人たちを仲良くさせようと思うことよりも、自分がその場を楽しんで、幸せな響きをみんなに伝えるだけでいいんじゃない」とアドバイスしたんです。実際に夫は、それを意識して過ごしてくれて、「すごく楽しかった」と言ってくれるんですよね。そういう夫の姿を見ると、私にとってもとても嬉しく、励みになります。

それから、娘も開華の2daysセミナーを受けてからは「自分が全然別人みたい」と言っています。娘はバイオリンを弾いているのですが、以前は「もっと上手に弾く」ことだけを考えて練習していたようですが、今では「間違ってもいい」と思えるようになって、「一緒に演奏する人たちがより楽しめるように。そして、来てくれた人たちが幸せな気分で帰ってほしい」と考えるように変わってきたようです。

本当に、家庭の中も、家族全員の生活も全く変わりました。本当にシンプルな表現なんですが、今は本当に幸せです。


| 病気が伝えるメッセージ

これまでの私の人生を振り返ってみると「病気」がキーワードだったように思います。生まれたときから病気の母の元に生まれ、義理の母も手術を受けるような人でした。

でも、夫は時間を惜しまず人に尽くし、驚くほど人に優しく接する人でした。私が病気になった時も、夫は同じように接してくれました。その姿を見て、病気というものが自分にとっての大事なテーマであり、地球に来た意味の一つなのかもしれないと感じるようになりました。がんが再発した時には、病気を他人事のように不要なものとして捉えていましたが、最近では、逆に「病気だからこそできることがある」と考えるようになったんです。

そのため、病気を治してもらおうとするのではなく、その経験を通して高い視点を持って何かに取り組もうとする人がいるならば、自分の体験や学んだことを伝えることで、その人たちの助けになれればと思っています。

2daysセミナーのときに皆さまの前で話をさせていただいた時に、私の体験を聞いて「勇気をもらえました」と言ってくださる方がいて、とても嬉しかったですね。これまでは「病気が治れば堂々と話せるのに」と思っていたのですが、今は「病気が治っていなくても、この私の体験や過程を発信していくこと自体に価値がある」と感じています。

現在の私は、病気について勉強する中で、量子力学的な生き方や病気についての勉強会を開きたいなと思っています。これまでの活動は一旦ストップして、新しい形で、生命の根源(ゼロポイントフィールド)からの響きを持った活動を始めたいと思っています。

不幸や失敗がいかに大事なものであるかを伝えることによって励まされ、その話を聞きたいと思う人もいるかもしれません。私自身の体験を通じて、人に対して発信していけることに価値を感じています。自分が経験した大きな病気をきっかけに、人生がより開けていくということを伝えていければと思っています。

以前は、病気のことを隠しておきたいと思っていましたが、今ではこの体験こそ求めている人がいるのではないか、と感じるようになりました。病気だからこそできることがあり、治ることだけが幸せではないと理解したときに、地球平和に向かって共に進んでいけると感じています。

問題解決のために現状をなんとかするのではなく、とにかく「自分が幸せであること」が一番大事です。その幸せは、あらゆるものを包み込んでいるゼロポイントフィールド、本質的な愛と感謝のことです。それを開華で学ばせていただきましたし、そして、それを一人でも多くの人に伝えていきたいです。

私は病気を通して深いメッセージに気づくことができました。不幸とか失敗とか、辛い出来事といったことの中にもとても大切なメッセージが含まれています。今まさに、その辛さの中にいる人に、私の体験や開華で得たものを伝えていきたいなと思います。




Story 08
死別の体験を愛の響きに変えて

吉崎彩音さん(仮名)/ 40代女性・ボイストレーナー


| 生死の境をさまよう体験、そして最愛のパートナーとの別れ

20歳を目前に、友人と乗っていた軽自動車が大事故をおこし、死の淵を彷徨う経験をしました。大事故の後、一緒に乗っていた友人は1週間後に治療の甲斐なく息を引き取ったと知らされました。

それから10年くらいの間は、
「私だけ生きている事が申し訳ない」
「なんで、私はこんな風に生き残ってしまったのか?」
「こんな傷だらけの私に何が出来るのだろう?」
「誰か教えて!私を救って欲しい!」
「こんな苦しいことばかりで、いっそ死んでしまいたい」
と自暴自棄になり、ネガティブ感情に押しつぶされそうになる日々を送っていました。

そしていつしか、その出来事を観ないように、聴かないように、何も感じないように、心の叫びに蓋をして奥にしまい込み、時間に流されてただ生きているだけの状態になってしまっていました。

その後、数回の手術と10年にも及ぶリハビリ生活を経て、ようやく社会復帰をしました。

生活も安定し、30歳を越えて心から分かり合えるパートナーと結ばれ、3人の子どもにも恵まれた幸せな日々を送っていたのも束の間。私はあまりにも厳しい現実に再び直面することになりました。

最愛のパートナーの急死でした。

またしても…
「わたしは人を不幸にする存在なのかもしれない」
「生きる価値がない」
「生きている必要なんてない」
と、最愛のパートナーのために何にも出来なかった自分を責め続け、再び生きる希望を失いました。


| ありのままで大丈夫

歌の恩師が紹介してくれた、大ちゃん先生の一冊目の著書「『自分発振』で願いをかなえる方法」をきっかけに開華を知り、深い喪失感の中、3人の幼い子供と一緒に親子で開華キッズセミナーで学び始めました。

当時は、何かに導かれているみたいな感じで、その時はもう本当に藁にもすがる思いで、自分がどうにかして生きていく力を見つけたいという思いで受講しました。

親子での学びから1年ほど過ぎたころ、ぎこちないながら日々の課題である感謝や自分褒めを書いてトレーナーさんに提出するうちに、トレーナーさんから伝わる愛や寄り添いの周波数に癒されていきました。軽やかな心でやり取りが出来るようになった自分が嬉しかったですね。

「ひょっとしたら、私に起こった大きな出来事が、生き詰まっているお辛い誰かのお役に立てるのかもしれない」と思えるようになり、それまで自分の中で苦しくもがいていた「自分が生き残ったことへの恩返ししたい気持ち」が「そのままで、ありのままで大丈夫だという愛の気持ち」に変わっていったんですね。それからもっと自分を深めてみたいと思い、トレーナーコースで学ぶことを決意しました。


| 観える世界が鮮やかに

トレーナーコースでは、幾度となく内側の自分と繋がり、自分の中の強張っていた気持ちへ寄り添い、自分の気持ちを抱っこしてあげました。

それを続けていくうちに、自分自身を段々しなやかに受け入れられるようになり、どんどん心が軽やかになっている自分に気付いて、今まで観えていた世界も美しく鮮やかに変わっていきました。

大ちゃん先生やトレーナーさんはもちろんですが、同期の仲間がいたことも大きかったですね。色んな体験を経た仲間と一緒に、まるで温泉に浸かる様に、ふぅ~と深呼吸しながら、リラックスした気持ちで、愛深い周波数を感じていきました。これは、とても貴重な時間でした。

そうしていくうちに、今まで封印していた感情が、スルスルっと溢れ出てくる様になりました。それを「うんうん、分かるよ〜」、「大変だったね〜」、「悲しかったね〜」、「辛いね〜」、と丁寧に丁寧に自分の心と向き合い、傷ついた心を自愛で包み込んであげることを繰り返していったんです。心に深く負った傷(奥底にある辛い、悲しい、苦しいという感情)に、「愛の周波数をかけて出来事を愛で上書き保存する」みたいな感じです。

これを繰り返して深い感情体験の中にある「悲しみの中にある『愛』」に気付けるようになりました。これが今では、私の大きな心の財産となっています。


| 祈りの力

かつての事故の後、私は何度も手術を繰り返すことになり、すぐには日常生活に戻れなかったんですが、でもその時の家族のサポート、特に「祈りの力」がすごく大きかったんだということが、開華の学びを通して分かりました。

開華で「エネルギーが先で、現象が後」ということを学んで、母が「明日は絶対良くなる」って思い続けてくれたその祈りの力が、私を支えてくれたんだなということに気がついたんですね。

母は、毎日遠くから往復6時間かけてお見舞いに来てくれていたんですよ。泊まることはできないけど、ほんの少しでも会える時間で私の顔を一目でも見たいって、その思いだけで来てくれていたんです。

その母の「絶対良くなる」っていうエネルギーが、本当に私を支えてくれてたんだなって、開華の学びを通して分かってきました。そのおかげで、今こうして生きていられるんだなって。母にはすごく感謝しています。

開華での学びは、ただ感覚的なものだけではなくて、ロジカルに言葉でもしっかり理解するので、体感を通した私の経験を他の人に伝えることもできますし、自分を活かす知恵に変えることもできます。

例えば、母が毎日祈ってくれていたことも、当時もありがたいだとは思ってはいたんですけど、その後の開華での学びで「あ、これが周波数なんだ」とか、「祈りが伝わるってこういうことなんだ」というのが、私の中でストンと腑に落ちてくる様になりました。


| 全ては自分発振

そして、開華での学びの中でとても重要なキーワードに「全ては自分発振」があります。目の前に現れる出来事は、自分が出している(かつて出してきた)周波数から現れた結果だということですね。でも、はじめは「え?そんなこと、信じられない」と思いました。

でも、学びを進めていく中で向き合えば向き合う程、「全ては自分発振」であることに気付きました。

かつての私は、「これは誰かのせいでこうなったんだ」と言い訳を見つけてばかりいました。事故についても、「もしあの車に乗っていなければ、こんなことにはならなかったのに」とか、家族についても、「自分は一生懸命に母親や妻として頑張っていたのに、なんでこんなことになっちゃうんだろう」と、いつも外側のせいにしていたんです。「自分は被害者だ」っていう意識も強かったです。

また、周りの人に対しても申し訳ない気持ちが強くて、特に、20代前の事故の時は「何で私だけが生き残ったんだろう」とすごく辛かったですし、「生かされたからには何かしなきゃ」と自分の中で空回りしている感覚もありました。


| 過去も未来も今に繋がっている

でも、開華の学びで「まずは自分を調えることが大切なんだ」と気づけたんです。自分が発振しているものが、良くも悪くも周りの現象に影響を与えるということも知り、「ああ、そうだったんだ」と分かってから、自分が少しずつ整っていきました。

自分が整った状態で日常を過ごせば、自然と日常生活に起こる現象も整ってくることが分かってきたんです。これに気づくまで20年以上の時間がかかりましたけど、その学びを経て「これからもっと良くなっていくんだ」ってことも実感できる様になりました。過去の体験も未来に起こることも全部繋がっているんだなって思えるようになったんです。

全てが繋がっているので「今が良ければ全てが良くなる」っていうのが私の中で腑に落ちたんですね。


| パートナーとのつながり

家族のことも、はじめは「ひとり親の私が何とかしなきゃ」と思っていたんですが、開華の学びを通じて「それぞれが自分発振で生きていけるんだ」と、「子供たちもそれぞれが自分の道を見つけて輝いていけるんだ」と思えるようになりました。

私の変化が、子供たちにもスーッと穏やかな波のように伝わって、大変なことを乗り越えた同志のように家族の絆が深まるようになりました。家族同士が大切で愛おしい存在として支え合って、自分を活かして生きる悦びを感じられる毎日を送っています。海のように深い愛を知ることができた経験は、私達親子の人生の財産になりました。

「魂は生き通し」「魂は根源側(ゼロポイントフィールド)でみんな繋がっている」という事を親子で共感して、子供たちからも「パパ!ここに居てくれるんだね」という言葉を聞けるようになりました。その言葉を聴いた時は、優しい愛の振動数で心が溶けていく様な感覚に涙が溢れ、もう頑張らなくても大丈夫なんだと思えるようになりました。

亡くなったパートナーのことも、周波数で繋がっていると感じるようになり「本当にありがとう」って思えるようになりました。

彼が生前、一生懸命家族を養って、多くのお客様を大切にしながら働いてくれたことに心から感謝して、その感謝を過去にも今にも未来にも響かせていこうと思います。今でも彼が応援してくれているんだなという感覚を、いつもいつも私の中に感じることができるんです。

本当に大変な経験ではあったけれど、開華の学びを通じて、私なりに成長できたことを彼にも届けたいなって思ってます。今の自分がここに立てているのは、本当にありがたいことだなって感じています。


| 魂の響きで本質のスイッチをオンに

こんな風に、沢山の感情を感じた私だからこそ、すべてをたたみ込んでいる「愛」を広げて行ける存在になれると感じています。

そして、これからも自分を慈しみ、労い、自分の本質と繋がって、亡くなったパートナーや友人の分も生き切ろう!と思っています。

これからは、私に授けていただいた「声」や大好きな「歌」を通して、世界のために最高の自分を発揮していきたいと思います。声を通して「魂の響きでお人の本質のスイッチをオンしていく」みたいな活動をしていきたいですね。

これまでの私ですが、20代前に事故にあった時は音楽の学校に通っている時でしたし、主人が亡くなった時もボイストレーニングの仕事をいいサイクルでできていた時だったので、もしかしたら私が音楽をやっていると人を不幸にしちゃうのかなと思って、すごく自分を責めたんですよね。人を不幸にしちゃったり人を傷つけちゃったりするなら、やらない方がいいんじゃないかっていう罪悪感の様な気持ちが私の中にありました。

でも、大ちゃん先生から、私の声を通して、体験からくる深い愛の響きを祈りや癒しといったかたちで届けていって欲しいと仰っていただけましたし、沢山の方から「あなたの声は響く」とか「もっと聴きたい」と言われて、「ああ、これでいいんだ。私は、音楽とか、声を出すこととか、歌を通して人にお役立ちしていいんだ」と思えるようになりました。

これからは、自分の内側に秘めているものを解放したり、メンタルにブロックがかかっている方が気軽に自分の声をアウトプットできるようなサポートをしていきたいと思っています。また、未来を担う子供たちが、自分の声を出すことが楽しいとか心地いいって感じられるようにサポートしていきたいですね。声ってメンタルと関係していて、声をちゃんと響かせることで、心が調ったり自立心が育まれたりするので、すごく大切なことだと思っています。

「人は誰でも青空(ゼロポイントフィールド)でつながっていて、自分を大切にして愛をかけてあげればあげるほど輝いていく」。そんな、開華で学んだメッセージが、私の声を通した発振から世界中に広がっていけばいいなと思います。